私たちが暮らす東北地方。冬の寒さがなければどんなにか住みやすいだろうと考えたことはありませんか。せめて家の中だけでも冬場が南の島のような暖かさだったらと…。
そんな夢のような快適な生活を実現してくれたのが、高気密・高断熱とオール電化システムを採用した住宅。その普及と推進役の一端を担ってきたのが東北電力であり、その中でも現在お客さま本部長をつとめる石塚さんの貢献度はとても大きいと言える。東北地方における、オール電化住宅の生みの親と表現しても過言ではないのだ。
話は12年前にさかのぼる。平成6年、石塚さんが東北電力秋田支店に赴任した際、雪国秋田の人々が冬暖かく快適に過したいと切に望んでいることを知る。日本の住宅は昭和40年頃から断熱材を使い始めていたが、冬場の暖房は石油ストーブのままであった。石油は水蒸気が出るために結露を引きおこす。しかもco2濃度も高くなるのでぜんそくやアトピーの要因になるとも考えられている。家の寿命も20年もたないと言われていた。そんな中、北海道の住宅を勉強しながら地元秋田の工務店の人々と協力し合い、東北にふさわしい家づくりのプロジェクトを立ち上げた。それが高気密・高断熱・オール電化の家との本格的な取り組みの始まりだった。以後12年。今では新潟と東北六県における新築戸建ての30%、三軒に一軒はオール電化の家になっている。仙台圏の分譲マンションの4割もオール電化を取り入れている。
快適性はもちろん、安心、クリーンしかも経済的。充実した住環境が整いつつあるようだ。
「とにかく住んでいるお客さまからオール電化にして本当によかったと喜んで頂くのが一番うれしいんです。」と語る石塚さんだ。自ら種を蒔き、育てた蕾がいま後に続く後輩たちの努力で一気に花が咲きはじめたところだと感慨深そうに話される。石塚さんの仕事に対するポリシーはスピード感とお客さまへの誠実な対応だと言う。岩手支店長時代のこんなエピソードも伺った。岩手にいた2年の間に、雪害が二回、台風の被害が二回、地震が一回と最大級の非常事体制での指揮を五回も経験したという。雪害では木が倒れ、電線が寸断され、停電が3万戸という状況だったが、他県からの応援も含め社員一丸となって不眠不休で復旧作業を続けた。特に岩泉町の町長さんからは、スピーディな電気の復旧により、乳牛が病気にならずに済んだと感謝状まで贈られたという。電気の回復がもう少し遅ければ乳牛たちに深刻な影響があったらしいのだ。どんな時でもベストを尽す、そして真面目に、ひたむきに、ものごとに取り組む石塚さんの姿勢に、周りで働く人からの信頼も厚く、この人のためならという気持になるらしい。今、61才とは思えない若々しさだ。毎年受ける体力測定でもトータルした結果は50才前半の体力。脳年令のチェックでは30代。「自分でも気持としてはまだまだ40代のつもりですよ。」とおっしゃる。若さの秘訣はアウトドアでの気分転換。ゴルフは月に二回、山登りも大好きで東北の山々はほとんど登っているとか。仕事の話を離れ、山の話をされている時、その表情は青年のような輝きを放っていた。