仙台へは22年ぶりの赴任である。初めての仙台勤務は昭和52年。まだ青葉区小田原にあった旧工場の時代だった。56年に現在の新しい工場建設プロジェクトがスタートし、立ち上げに尽力したのち昭和58年に仙台を離れた。
以来22年、「久しぶりに戻ってきた仙台は街並など多少変っていたものの、人の心は昔のまま。人情が厚く、一度懐に入ると気やすく身内のように付き合える居心地よい第二の故郷のような街です。子供たちも仙台で生まれ育ちましたので、成長した今でも年に何度か遊びにやって来るんです。」と目を細める溝田さんだ。
大学卒業以来キリンビールひと筋の人生を歩んで、主にビール部門の製造設備の設計や管理を手がけてきた。仙台工場長としては、社員・従業員合わせて150名以上の総指揮者として、工場全体の活性化や人材の育成に力を注いでいるところだと言う。溝田さんのポリシーは、自覚・自発・自律の三つの行動力。人にやらされるのではなく、主体的にする仕事でなければ進歩はない。課題や問題を自分で気付き、自主的に解決する糸口を見つけてゆく。自分からのレベルアップが成長につながってゆくと信じている。それは働く人々へのメッセージであり、同時に自らを律する支えにもなっている。決して上からの押し付けではない相互の磨き合いを願っているのだ。溝田さんの言葉の端々からは、誠心誠意、真面目な人柄が伝わってくる。
キリンビール仙台工場が産声をあげたのは大正12年のこと。今年で83年目を迎える。キリンビールの中でも3番目に古い歴史のある工場なのである。地元にビール工場があるということは、季節を問わず新鮮で美味しいビールが飲めるということ。長きに渡り私たち仙台市民はその恩恵に浴してきたわけだ。
現在、宮城野区港にある工場では、お馴染みの「キリンラガービール」をはじめ「一番搾り」、季節限定の「秋味」や岩手県遠野から直送されるホップを使った「とれたてホップ一番搾り」、発泡酒の「淡麗〈生〉」「淡麗グリーンラベル」「円熟」、第三のビールと呼ばれる「のどごし〈生〉」など多品種を生産している。特に「のどごし〈生〉」は、新ジャンルの中でトップブランドになっているという。またキリンビールの会社自体も今年上半期で5年ぶりに業界トップの座に返り咲いたと、嬉しそうに話される溝田さんだ。延べ10万坪の工場敷地。その大空には鷺が悠々と飛び交う姿が見られる。日本有数の営巣地になっているそうだ。また毎年4月中旬から下旬にかけては、敷地内200mに渡る桜並木が一般に開放され、桜まつりが開催される。ブルワリーツアー(工場見学・要予約・木曜定休)も行われていたり、レストランのビアポートでは「麒麟伝説」というハウスビールも味わえる。市民の皆さんと親しくふれあいながら、益々美味しいビールづくりに邁進したいと語る溝田さんだ。最後に8月下旬から工場内で開催される「日本のビールのさきがけ」展の案内をりらく読者の皆様にと預かった。工場長はスポークスマンでもあるわけだ。