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仙台発。大人の情報誌「りらく」顔語り

村瀬公三(むらせこうぞう )

村瀬 公三

村瀬 公三 - むらせ こうぞう

七十七銀行硬式野球部監督。昭和42年生まれ 39才。宮崎県日向市出身。2才の時父親の転勤により宮城県石巻市へ。東北高校野球部時代甲子園で、東北福祉大学野球部時代は神宮球場で大活躍。大学卒業後は社会人野球、七十七銀行硬式野球部に入る。2003年9月監督就任。家族は妻と三人の子供。仙台泉区に在住。最近小学生の長男と次男が野球を始めた。

 39歳の若さで七十七銀行硬式野球部を率い、監督就任2年目の2004年には都市対抗野球全国3位、黄獅子旗(きじしき)を見事獲得した。野球を始めたのは石巻の釜小学校・門脇中学校時代から。そして名門の東北高校、東北福祉大学へと進む。この7年間同級生にはあの大リーグ投手、佐々木主浩選手がいた。東北高校の練習といえばシゴキに近い過酷なもので100名入部して1週間後に残れるのはその半分くらい。「当時、竹田監督がスカウトしてきた連中は練習でもかなり優遇されていましたが、私などは雑草組でしたから、そうした連中には絶対負けたくない気持ちが強かったですね」と負けん気の強さで頑張り通した高校時代を振り返る。甲子園には2年の夏と3年の春夏に出場した。チェッカーズの「星屑のステージ」に合わせて入場行進し「ああこれが甲子園か!」と感動した思い出が印象に残っているという。試合では小粒といわれた打線の切り込み隊長として、コンビを組む吉田選手と共に一番、二番バッターとして活躍。必ず塁に出る、出たら走るといった作戦で相手チームを翻弄した。「プレーすることが楽しくてしかたなかったし、私自身は超プラス思考の目立ちたがり屋なんですね」と笑いながら自己分析してくれた。学生時代ライバル心をメラメラと燃やしていた佐々木主浩選手とは、実は大の仲良し。そのライバル心こそ自分を向上させてくれた原動力だったと思っている。同級生として誇りであり、引退した時はとても淋しかったという。

  学生野球から社会人野球へ。地元企業のチームでやってやろうじゃないかと意気揚々と入った七十七銀行だったが、当時JTやNTTといった強豪チームの前に予選敗退が続いていた。がんばっても勝てない中で、野球を別の視点や角度から見ることによって、今までとは違う「負けない野球」の光が見えてきたという。前任の監督からチームを引き継いだのは2003年。春のスポニチ・夏の都市対抗・秋の日本選手権を大きな目標とし、負けない野球をするための地道な練習と努力を重ねた。その結果、しだいに予選突破、東京ドームなどの最高のステージで戦えるチームに成長していった。勝つことにより経験を積んで選手たちはどんどんと自信をつけていったのだ。今年で監督4シーズン目となる村瀬さんのポリシーは基本的には「現場主義」。試合前にあれこれと作戦を練るよりは、まず試合がスタートした瞬間の相手の見極めを大切にする。常にゲームは動いているものだから、流れをこちらに向かせれば良いのだ。選手時代から培ってきた現場感覚と勝負勘の鋭さが村瀬さんの最大の武器となっているらしい。現在野球部は選手とスタッフ合わせて29名。「選手たちとは年齢も近いので兄貴のような気持ちでいます。だからユニホームを脱げば一緒に遊びにも行きますし、飲みにも行きます。なるべく壁はつくらないよう心がけていますね。」と語る村瀬さんだ。今年、都市対抗野球戦は第77回大会となる。ラッキーナンバー77の年にぜひ優勝をしたいと熱く燃える。村瀬さんの勝負強さと、鋭い直感力、そしてチームの総力で大きな夢を手にしてもらいたいものである。



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