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変貌する世の中を見つめながら、自社の将来を模索し、新たな理念を打ち出した。「地産地消という昔のスタイルに戻そうと…」、仕事の合間だが、丁寧に語り始めた。 納豆業界も工業化が進み、昨今は大手メーカーの地方進出に圧倒され、価格競争ではとても太刀打ちできないという。「考えてみると、代々食べ継がれた味が、いつのまにか変わっていた」。古い記録や文書などを総ざらいして試行錯誤し、出した答えは「人を増やして、手作り指向を強めました。家内工業の凄さを見せてやろうとね」。その瞳には、力強いチャレンジスピリットが宿る。 県内産の大豆を選び、浸漬や蒸し、発酵、熟成まで、手間暇惜しまず丹誠込めて行う。地元消費を前提として売り切れる量だ けを作り、極力コストを抑える。また原料産地や品種の表示や、東北人の味覚にこだわったタレの開発、個性的なパッケージの工 夫などにも腐心した。こうして、県の地域特産品認定「Eマーク」を獲得。「お陰様で評判がいいんですよ。大豆そのものの味が 違いますからね…」、素直な笑顔が好感を誘う。安心できる美味しい品が、タイムリーに求められるのなら、多少の差額を払って も選びたくなるものだ。 持ち前のリーダーシップで話し合いの場を増やすなど、社内の意識高揚を図り、実績に結びつけてきた。さらに、原料産地農家グループとの交渉、同業仲間との結束…。意欲的な活動を語る表情には、期待や充実感はもちろんなのだが、どこかにやんちゃな雰囲気が見え隠れする。「納豆屋だけど、ただの納豆屋にはなりたくないんです、一丁やってやろうかって…(笑)」。なるほど、使命感や3代目の責任といったものに縛られることなく、与えられた立場をフルに生き、働き、楽しんでいるようだ。 中学・高校時代はバドミントン選手として活躍。今も休日はサーフィンやスノーボード、釣りなど、家にいることはほとんどないというアクティブ派だ。こうしたフットワークの良さが、仕事にプラスなことはいうまでもない。 宮城が余所に誇れる納豆産地だとは知らなかった。「全国で食べられている、納豆菌を使った納豆作りの発祥地は仙台なんですよ」。大正期、室による製法を確立して広めたのは、地元仙台の宮城野納豆なのだそうだ。また日本に3カ所だけの納豆菌培養所の大元も、同所なのだという。 「鑑評会でも県内の納豆は上位に並びますよ」。宮城県民としては、地場商品を見直さなくてはなるまい。 創業80年余り。「とにかく長く買い続けていただくことが目標。急がず背伸びせずに、まず創業百年、20年先を考えていきます」。が、次なる戦略は?と問うと、「ちゃくちゃくと進行中です。期待してくださいね」、またまた夢に賭ける少年の眼差しになる。 古いモノにも興味があると語る3代目は、謙虚でしかも自由奔放な意志が武器である。 |