今年で創業20周年という。当時若干25歳、定年退職したばかりの父親に社長職を委ね、2人でささやかに起業した。そして今、仙台市内にいくつも拠点を広げ、契約社員を含む従業員約
180名を束ねる、名実ともにリーダーである。ダークスーツを凛と着こなし、温厚な口調で語りだした。
同業の父方の本家で、子供の時から仕事を見、中学になると手伝うようになった。「あの頃、葬儀屋は偏見の目で見られる仕事だと聞いていました」。確かに、古い日本の慣習では
「死」を忌み嫌い、それに関わる職業は蔑視されるような風潮があった。しかし現場に行くと、遺族から親戚以上
に頼られ、儀式の一切が済めば、涙ながらの感謝の言葉を受ける。「大変な状況にある方々の力になれるって、
素晴らしい仕事だと思いました。話に聞いていたのとは違うってね」。高校、大学と休みごとにアルバイトをす
るうちにどんどんのめり込み、結局、人生をかけることに―。
人一倍の行動力を持ち、意思の強さも並々ではない。学生のうちから全国各地の同業者を訪ね、修業先も自分で決めた。資金繰りのため、事業計画を作って銀行を駆け回ったりもした。「他よりいい仕事してやるぞって、自信があった。やんちゃだったんですね(笑)」。にこやかに昔を振り返るが、よどみなく綴られる言葉には、確固とした信念が伺える。
「今考えると、恵まれた時代にスタートできたんだと思います」。ちょうどその頃、「お葬式」という邦画がヒットし、タブー視されていたことが、ごく普通に話題に上り、逆に関心を持たれるようにもなってきた。そこで東北で初めての「葬祭展」を行ったところ、大きな反響を得る。「手応えを感じました。もう、待っているだけの仕事ではなく、表に出ていっていいんだと…」。この後は、推して知るべし。持ち前のリーダーシップと若く柔軟な思考で、次々と事業を広げ、伸張させていったのである。
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「基本はまごころに尽きますよね、仕事というよりボランティア意識が大切」。家族を亡くした時の精神状態は並大抵ではないが、喪主は葬儀の執行責任者を勤めなくてはならない。「側に控えていて、必要な時に横に並び、喪主様の不安を取り除くよう努めるのです」。まさに究極の気配り、目配りが求められよう。いとも当たり前のことのように話すのだが、
その辺りは、長い経験から学び、独自の感性で磨き上げた『才能』と呼べるものかもしれない。
趣味は?と聞くと、「24時間365日、暦に無関係な仕事ですからね…」。かつては電話とにらめっこの日々で、余裕などなかったという。そして裏返せば、「24時間365日がビジネスチャンスでもあるんです」。今は多少の時間ができ、好きな旅行や食べ歩きもできるようになった。「そこで体験したことを、いかに仕事に生かせるかを考えるのも楽しいですね」。
根っからこの仕事に惚れ込んでいるのだろう。はつらつと語る表情に、真摯な『飛翔』の夢が映って見えた。