仙台発祥の味覚として、今や不動の地位を築いた牛たん。その業界の、まさに縁の下の力持ちである。
「いやあ、狂牛病は大変だったけど、おかげで勉強させてもらいました」。柔らかな物腰で語りはじめた。昨年の
発覚以来、売り上げは急降下し、歳暮シーズンには前年対比なんと3割。「これは、もう一度商売を見直せという
ことだと考えたんです」。
それまでの牛たん業界には同業者組合意識がなかった。そこで、これを契機に『仙台牛たん振興会』
の設立を期したのである。「団結して公的にも直訴できるような集まりがあればいいなと…」。それから数ヶ月は
東奔西走、面識のない同業者に電話で説得し、県庁に出向いて知事に請願もした。結果、振興会が設立し、
『仙台牛たんマップ』の発行にも漕ぎ着けたのである。穏和な表情の中に、何かを見据えるような澄んだ眼差しと、
きりりと引き締まった口元が印象的だ。
父親が脱サラで創業して以来、人生の半分以上を牛たんとともに歩んできた。
「大学2年の時、父に相談されましてね。毎日夕方から店を手伝うことにしました」。昔気質の職人について包丁さば
きから学んだという。
店が軌道に乗ってくると、持ち前の行動力を発揮。それまでマイナーイメージが強かった牛たん屋に
女性客を呼び込もうと、食べやすいタレ味などのバリエーションを工夫。駅ビルに出店する際には、思い切って
仙台名物の看板を大きく掲げて観光客にアピールした。これ以降、仙台牛たん業界の伸展ぶりは周知のこととなろう。
何事もプラス発想で、信条は『諦めないこと』。「倒れる時は前に倒れたいと思う。そうすれば身長の分だけ前
に行けるし、手を伸ばして地面を掻けばあと3センチぐらい前に出られるかなと…」。身振りを加えながら自らの哲学
を語る表情は、晴れやかで凛々しい。どんな窮地に立っても、どのくらいできないものなのかやってみたいともいう。
「負けず嫌いなのかな。人の喜ぶ顔を見るのが好きなこともありますね」。血液O型、くよくよせず、割り切りが早い方と
、屈託なく自らの性格を分析する。
音楽が趣味。高校時代はフォークバンドに熱中、ボーカルとギターを担当してステージにも立った。
「下手なんだけど歌うのが好き。ハモるのも楽しいですよね」。2〜3年前までは、昔の仲間とバンドを組み、
ビヤパーティなどで演奏もしたというから、かなり本物のようだ。
これからの夢は?「仙台の牛たん店が集まる『牛たん横丁』、いいと思いませんか?まだまだ夢ですけど」。
近年はメニューや店づくりなど、牛たん店の形態が多様化してきた。これらが横丁としてまとまれば、
客が自在に選べて便利だし、きっと観光名所になると目を輝かせる。
常に前を向き、常に上を目指して突き進む『元気中年』(スミマセン)に、喝采!