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東北の都」という自覚を持とう!

野田 一夫
仙台市民のうち仙台に生まれ育った人がどのくらいの比率を占めるのか、それは問題ではない。問題は、仙台市民の中で仙台を「東北の都」と自覚している人の比率が予想以上に低いことである。正式の調査に基づく統計数字があるわけではないが、私の印象では、多分1%も無いだろう。なぜそのことが問題かというと、大都市としての仙台の近年の活力の著しい低下、また大都市としての仙台の未来の見通しの暗さは、どちらの原因も「市民の大部分はもとより各界指導者の多くすら仙台を東北の都として自覚していないこと」に直接間接的に大きく結びついているからである。これは私の持論だ。
  徳川時代にもそうであったが、明治維新以後の近代国民国家誕生後の日本ではなおさらのこと、都市としての仙台の発展は、仙台が東北の中では政治(行政)的にも、経済(経営管理)的にも"要"の役割を果たしてきたからである。広大で肥沃な宮城平野を後背地として持ち、太平洋に事実上面して気候的に恵まれ、しかも(「白河以北一山百文」などと言われながらも)久しく日本の首都である東京(江戸)に地理的に近接している…等々の幾つかの利点の故に、仙台の住民がどう認識しようと、中央の各界指導者は(東北を無視しえない限り)仙台を不当なほど重視したし、東北各地、とくに各都市の各界指導者は(自らの発展に関連づけて)仙台をありがたいほど注目してくれたのである。
  要するに、都市としての仙台の発展は、400年前に仙台を開府した伊達政宗の時代を唯一の例外とすれば、自らの知恵と努力というよりは、天与の自然的条件と外部が勝手に下してくれた過分の評価に安易に依存しておれた結果であると断定してよい。しかし、歴史的に仙台を支えてきた繁栄の条件の多くは、1980年代以降一つ一つ急速に失われつつあることを忘れてはならない。ここではそれらを詳しく説明する余裕はないから、グローバリゼーションとかIT化という世界的な時代の流れも、また高齢化とか(経済や行政の)広域化という日本的な時代の流れも、東北地方における"要"としての仙台の存在理由を明らかに低下させてきたことだけを指摘するにとどめよう。
  「仙台を引いたら宮城県に何が残るか」との問に対して「松島…」と回答した人に憤慨する宮城県民は、その前に自他をともに納得させる回答を準備すべきだ。東北が過去において日本の各地域の中で経済的に恵まれた地域だったとは言いがたいが、仙台という百万都市が出現できる程度には発展から遅れをとらなくて済んだと考える方が正しい。だから、将来仙台がうら寂れた古都にまで凋落したら、(現在の仙台を超えるほどの大都市でもどこかに出現すれば別だが)東北は経済的には今より停滞した地域に成り果てることは確実だろう。そうした現実を望まないならば、仙台の各界指導者は「仙台と東北の発展は切り離し難く関係づけられている」という私の持論を改めて認識し直し、それをあらゆる機会に市民に訴えながら、長期的かつ総合的な東北の発展政策を立案・実施していくべきである。
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