笑顔は親からもらった最大の財産と、いたずらっぽく語りはじめる。「小さい頃、父親は僕を他人に紹介する時、
決まって『この子の名は、秀吉と家康から一字ずつもらって秀康。何より笑顔がいいんですよ』と言う。するとつい僕は
ニコニコっとなっちゃうわけ。以来、笑ってごまかして、五十数年生きてきましたよ(笑)」。
美術学校出の父親は四十二歳で早世。飽くことのない好奇心や、何事にもビビッと反応する感性も父親ゆずりらしく、
持論を多角的に温めている。
食べ物に関しては自称「イヤシコ」。仙台弁でどん欲、食いしん坊といった意味。「ただ腹いっぱいにするだけでは満足で
きなくてね」、器や盛り付けも美味しさの要素と断言。「イヤシコ」は良い意味での「食へのこだわり」だ。職業柄、店舗
や商品開発も手がけるが、食に関する限りはどこにも負けないと言い切る。その一瞬、笑顔がキリリと引き締まる。と、また
一転「離乳食以来、毎日三回ずつ五十年以上もメシを喰ってきてる、食べることにかけてはプロですから(笑)」。
よどみのない、相手の心をグイっと引き寄せる話術に加え、表情がとにかく豊か。寿司の食べ方や蕎麦のすすり方の
講釈にいたっては、落語家さながらの身振り手振り。柔和な中に硬と軟、動と静が間合い良く見え隠れし、『顔は口ほどに
モノを云い』とでもいうところか。
繁盛する店の条件は、店員に信頼される店であること。店の近隣の人々に支持される店であることという。「どんな
企業経営も同じ。実力を百%出し切らず、余力を蓄えながら、お楽しみは小出しにするという駆け引きも大切ですよ」。商店
街づくりでは、「好景気の時に努力しなかったから、仙台の中心街は空洞化してしまった。一度店を壊し、二階以上をアパー
トに建て替える。人が住むようになれば、おのずと客は増えます。ミラノのアーケード街のようにね」。手厳しいが核心をは
ずさず、なるほどと合点がいく論理にほっとする。
見たり聞いたり、人生で関わり合うあらゆる事象から、常に何かを取り込んでいるようだ。「引き出しは沢山持ってますよ。
皆さんから色んなものをもらってきたし、親やわが子から教わったもの、悪ガキとのつきあいで学んだこともあります」。
ここに来て、創業時以来の仕事意欲が燃えたぎっているという五十六歳。余計な駄文より、親からの偉大な財産
である「顔面力」はかく語りき、である。