173センチの長身。がっちりとした体型。さぞや若い頃運動で鍛えられたのではないだろうか。それもそのはず、
大河原商業高校時代はウエイトリフティング部。バンタム級の選手として、インターハイにも出場の経験を持つつわ
ものである。高校の2年先輩には三宅義行選手がいた。その当時の体重は60キロ。スマートさが身上の好青年であった
のだとか。高校卒業後は、仙台中央郵便局勤務を経て、昭和48年、26才のときフラワー中山を創業する。数ある商売の中
から生花店を選ぶにあたっては、曵地さんの説による「先見の明というよりは、とても簡単な未来予測」があったのだ。
その時代、日本では贈り物といえばお中元かお歳暮。送る品は、毎日使う調味料や子供たちが喜ぶ乳酸飲料が主流だった。
ところが、ヨーロッパではどうだろう。贈り物といえば美しくアレンジされた生花がメイン。訪れる家には前もって花屋から
花を届けるマナーになっている。国が豊かになってゆく、また文化が成熟してゆく過程では花が欠かせない存在になって
いる。つまり「花は文化のバロメーター」でもあるわけだ。あと何年か経ったら、日本にも花の文化はきっと根づくはず
。そんな確信をもってのスタートだった。創業時、共に商売に携わっていた奥さんと大きな目標をたてた。売上・利益・社
員への待遇、どれをとっても東日本で一番の花屋を創ろうと。この33年間は、1日14時間完全無休で働き続けた。結果は初心
の大きな目標をなんなく達成できたのだった。
ただ唯一残念でならないのは、長年連れ添い二人三脚で共に商売に励んできた奥さんを、病気であっという間に亡
くされてしまったこと。言葉では言い尽くせぬ深い悲しみを経験したという。生前奥さんとは、65才になったら商売は息
子さんに譲り、あとは世のため、人のために働きたいと話し合っていた。その計画のひとつは、助け合いの花園「仙台ロ
ーズガーデン」として平成15年に実を結んだ。今では約50人の知的障害をもつ人々が快適な環境の中で作業し、自立の道を
めざしている。また平成8年には、自分たちの手で納得できる葬儀がしたいと願う様々な職種の88社(人)の方々と出資し合
い(株)花祭壇を誕生させた。これだけ多くの思いが手を繋ぎ、心を 寄せ合う葬儀社は全国でも例をみないという。現在フ
ローラルプラザ中山・宮町、台原と、この秋10月25日オープンの愛子店を含めて4店舗。故人の好きな花や音楽、映像など
で、セレモニーの多様なニーズに適正な価格で応えている。さらに10月1日からは、「みやぎフローラル共済」という新し
い共済事業にも乗り出した。規制緩和などにより世の中の流れはめざましく変化している。その変化をしっかりととらえ
、自分の夢や希望を紙に書き留めておく。するとそれは経営計画書となり、いつしか現実のものになっている。「鮮やかに
想像し・ 熱烈に望み・心から信じ・魂をこめた・熱意を持って行動すれば何事も必ず実現する」という信念を持っている。
次から次へと仕事をしていないと調子が悪くなってしまうほどの仕事好き。自分の街のモノを大切に考える、地産地消の推進
にも積極的に取り組んでいる。ますますのご活 躍を願うものである。
インタビュー/石川恵美子 カメラ/大沼英樹